現役選手が生んだ新チーム。カーリングで未来を彩る。【一般社団法人ロコ・ソラーレ】
2024年7月29日 公開
まちづくりとアスリートの育成を柱に、ワークライフバランスの取れたカーリングチームの運営を目指す一般社団法人ロコ・ソラーレ。チーム青森の現役選手としても活躍し、オリンピック出場経験を経て代表を務める本橋麻里さんに、カーリングを始めたきっかけ、日本代表選手になるまでのプロセス、ロコ・ソラーレ結成までの経緯や今後の展望について伺った。
常呂町で発掘された、アスリートの原石。
子どものころからスポーツが好きで、陸上やスケートなどを通して年中身体を動かしていたという本橋さん。カーリングとの出合いは、小学校4年生の時だった。
「地元常呂町では体育でカーリングの授業があって、初めてブラシを握ったんです。その後たまたま友だちと行った町内のカーリングホールで、常呂カーリング協会の初代会長を務めていた小栗祐治監督にスカウトされて少年団に入団しました」
12歳から始まった本格的な競技人生。ごく普通の少女だった本橋さんの生活は一変し、すべてをカーリングに捧げる日々が始まったという。それから7年後にはオリンピックの舞台に立っていたというから、そのスピード感には驚くばかりだ。
「子どもだったし、初めからオリンピックを意識していたわけではありません。転機になったのは15歳で出場した世界ジュニア大会です。結果は最下位だったのですが、スポーツマンシップが奨励されて個人賞を受賞したことや、世界各国の選手と戦えたことがとても良い刺激になりました。もっと高みを目指したいと思うようになったのはそのころです」
高校卒業を目前にして「いずれオリンピックを目指すなら」とコーチが勧めてきたのは「チーム青森」への入団。小笠原歩選手や船山弓枝選手など、強化指定選手に選ばれたメンバーも所属していた。あまりの強豪ぞろいにためらったが、本橋さんは同チームへの入団を決めた。
「地元常呂町では体育でカーリングの授業があって、初めてブラシを握ったんです。その後たまたま友だちと行った町内のカーリングホールで、常呂カーリング協会の初代会長を務めていた小栗祐治監督にスカウトされて少年団に入団しました」
12歳から始まった本格的な競技人生。ごく普通の少女だった本橋さんの生活は一変し、すべてをカーリングに捧げる日々が始まったという。それから7年後にはオリンピックの舞台に立っていたというから、そのスピード感には驚くばかりだ。
「子どもだったし、初めからオリンピックを意識していたわけではありません。転機になったのは15歳で出場した世界ジュニア大会です。結果は最下位だったのですが、スポーツマンシップが奨励されて個人賞を受賞したことや、世界各国の選手と戦えたことがとても良い刺激になりました。もっと高みを目指したいと思うようになったのはそのころです」
高校卒業を目前にして「いずれオリンピックを目指すなら」とコーチが勧めてきたのは「チーム青森」への入団。小笠原歩選手や船山弓枝選手など、強化指定選手に選ばれたメンバーも所属していた。あまりの強豪ぞろいにためらったが、本橋さんは同チームへの入団を決めた。
挫折をバネに踏み出した一歩。ロコ・ソラーレが誕生するまで。
2005年に加入し、翌年のトリノオリンピック、2010年のバンクーバーオリンピックに出場した本橋さん。「目まぐるしい日々の中で、気が付いたらオリンピックの舞台に立っているという状態でした」と振り返る。
しかし結果はトリノが7位、バンクーバーが8位と、苦しい状況だった。2大会とも、金メダルを獲得したのはスウェーデンのチーム。その姿に大きな影響を受けたと本橋さんは話す。
「チーム青森のメンバーはみんな、カーリングが人生のすべて。それに対して、スウェーデンの選手はカーリングを楽しみながら、子育てというライフイベントも大切にしているようでした。観客席にも、ご家族やご親戚の方々が応援に来ていて、とても幸せそうだったのが印象的でしたね。日本にもそんなチームをつくりたいという思いで、私はバンクーバーオリンピック出場後、地元常呂町に帰ることを決意しました」
第一線で活躍してきた本橋さんが日本代表チームを退団し、新たなカーリングチーム、ロコ・ソラーレを結成するというニュースは当時もメディアで大きく取り上げられた。しかしまだスタッフさえ存在しない状況で、本橋さんはスポンサー集め、練習プランの作成、ユニフォームの発注、経理業務など、そのすべてに悪戦苦闘していた。
「一人で背負い込みすぎてしまい、完璧主義な性格もたたってか全身にじん麻疹が出てしまって。でもたまたま受診した北見市の國分皮膚科で事の顛末を話したら、なんと院長先生がスポンサーを買って出てくださったんです。それをきっかけに、多くの地域住民が活動を後押ししてくれて。お陰で帰郷してから1年足らずの2010年10月に、ロコ・ソラーレを結成することができました」
しかし結果はトリノが7位、バンクーバーが8位と、苦しい状況だった。2大会とも、金メダルを獲得したのはスウェーデンのチーム。その姿に大きな影響を受けたと本橋さんは話す。
「チーム青森のメンバーはみんな、カーリングが人生のすべて。それに対して、スウェーデンの選手はカーリングを楽しみながら、子育てというライフイベントも大切にしているようでした。観客席にも、ご家族やご親戚の方々が応援に来ていて、とても幸せそうだったのが印象的でしたね。日本にもそんなチームをつくりたいという思いで、私はバンクーバーオリンピック出場後、地元常呂町に帰ることを決意しました」
第一線で活躍してきた本橋さんが日本代表チームを退団し、新たなカーリングチーム、ロコ・ソラーレを結成するというニュースは当時もメディアで大きく取り上げられた。しかしまだスタッフさえ存在しない状況で、本橋さんはスポンサー集め、練習プランの作成、ユニフォームの発注、経理業務など、そのすべてに悪戦苦闘していた。
「一人で背負い込みすぎてしまい、完璧主義な性格もたたってか全身にじん麻疹が出てしまって。でもたまたま受診した北見市の國分皮膚科で事の顛末を話したら、なんと院長先生がスポンサーを買って出てくださったんです。それをきっかけに、多くの地域住民が活動を後押ししてくれて。お陰で帰郷してから1年足らずの2010年10月に、ロコ・ソラーレを結成することができました」
ママアスリートが創る、彩り豊かなチームの未来。
本橋さんは2015年、第一子を出産。自身の子育ての経験もチームのあり方に大きな影響を与えたという。
「思い通りにならない子育てと、チーム運営の両立が難しく、またしても壁に衝突してしまったんです。何事も一人で完璧にはできないことを再認識し、人に助けを求めることの大切さを学びました」
出産から3年後の2018年、ロコ・ソラーレは平昌オリンピックに出場し、銅メダルを獲得した。本橋さんも選手復帰し、控えメンバーとして出場していた。子どもが小さかったため、事前の海外遠征には一部しか参加できなかったという。
「正直、悔しさもあった一方で、任せられることはメンバーに託し、補い合いながら戦えたことには喜びを感じていました。メンバーみんなに連れて行ってもらったオリンピックです。『チームで戦う』ことの意義をようやく理解できたような感覚でしたね」
現役選手でありながらチームの代表でもある本橋さんは、ロコ・ソラーレの法人化についても語った。
「選手が引退後も広報やキッズスクールの運営など、強みを生かして働ける、ステップアップキャリアという形で、事業展開をしていきたいと思ったんです。特に今後焦点を当てていきたいのは、まちづくりと人材育成。活動を通して、地元を愛し、地元に愛されるチームになってほしいんです。また世界に挑戦するアスリート集団でありながら、一人ひとりが豊かな人生を歩んでいってほしい。代表として、全選手に常に目を掛け、声を掛けながら大切にチームを育てていきたいと思っています」
アスリートとして、オリンピック選手として、母親としての本橋さんの経験が、チームだけではなく地域の未来をも彩り豊かにしていくことだろう。
「思い通りにならない子育てと、チーム運営の両立が難しく、またしても壁に衝突してしまったんです。何事も一人で完璧にはできないことを再認識し、人に助けを求めることの大切さを学びました」
出産から3年後の2018年、ロコ・ソラーレは平昌オリンピックに出場し、銅メダルを獲得した。本橋さんも選手復帰し、控えメンバーとして出場していた。子どもが小さかったため、事前の海外遠征には一部しか参加できなかったという。
「正直、悔しさもあった一方で、任せられることはメンバーに託し、補い合いながら戦えたことには喜びを感じていました。メンバーみんなに連れて行ってもらったオリンピックです。『チームで戦う』ことの意義をようやく理解できたような感覚でしたね」
現役選手でありながらチームの代表でもある本橋さんは、ロコ・ソラーレの法人化についても語った。
「選手が引退後も広報やキッズスクールの運営など、強みを生かして働ける、ステップアップキャリアという形で、事業展開をしていきたいと思ったんです。特に今後焦点を当てていきたいのは、まちづくりと人材育成。活動を通して、地元を愛し、地元に愛されるチームになってほしいんです。また世界に挑戦するアスリート集団でありながら、一人ひとりが豊かな人生を歩んでいってほしい。代表として、全選手に常に目を掛け、声を掛けながら大切にチームを育てていきたいと思っています」
アスリートとして、オリンピック選手として、母親としての本橋さんの経験が、チームだけではなく地域の未来をも彩り豊かにしていくことだろう。
一般社団法人ロコ・ソラーレ
2010年に北見市常呂町で結成されたカーリングチーム、ロコ・ソラーレを前身に、2018年平昌オリンピックで銅メダル獲得後に法人化。翌年、北京オリンピックでは銀メダルを獲得。育成チームのロコ・ステラ、男子チームのロコ・ドラーゴの運営にも携わり、まちづくりと人材育成に力を入れている。

BOSS TALK
本インタビューはUHB(北海道文化放送)のトーク番組「BOSS TALK」とのコラボ企画により収録されました。
北海道を愛し、北海道の活性化を目指す“BOSS”が北海道の未来と経営について楽しく、真剣に語り合う“TALK”番組。独立するまでの道のり、経営者としての思い、転機となった出会いや目指す未来などを語ります。
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