幼少期、兄や近所の男の子たちに囲まれて育ったという田中さん。紅一点、大切にされてきたのかと思いきや、厳しい男社会にもまれてつらい思いもしてきたと苦笑いする。
「からかわれたり放っておかれたり、雑に扱われることも多かったですね。保育園に入園して、進級するにつれ自分がお姉さんとして慕われるようになった時は本当にうれしかった。存在意義を見いだしたと言うと大袈裟かもしれませんが、初めて自分自身の価値に気付くことができました」
当時から近所の家に赤ちゃんが生まれると、自らお世話をしに出掛けて行くほど面倒見が良く、まさに「小さな保育士さん」と言うべき存在だったという。8歳年の離れた妹が生まれた時も、まるで我が子のように可愛がり、育ての親とも呼ばれていたそうだ。
「年齢を重ねても『幼い子どもたちのために役立ちたい』という思いは変わらず、福祉科のある高校へ進学しました。卒業後は本格的に保育を学びたかったのですが、経済的な理由から断念し、美容系会社の事務職員として働き始めました」
しかし長い間温めてきた「保育士になりたい」という思いは冷めるはずもなかった。むしろ全く別の仕事を経験したことでその思いは強くなっていったという。
「とにかく保育園で働きたいという一心で、アルバイトでも構わないと無認可保育園に転職しました。しかし横目で同僚の保育士を見ながら雑務をこなすうち、やはり保育士として子どもとかかわりたいと思うようになり、とうとう22歳で保育専門学校への入学を決意したんです」
自分で稼いだお金で保育士資格を取得した田中さんは、晴れて認可保育園に就職。しかし夢がかなったと思った喜びも束の間、抱いていたあこがれは打ち砕かれることになる。