札幌市出身の塚原さん。大学時代はボート部に青春を捧げる、ストイックな4年間を過ごしたと振り返る。
「毎回5時に起きてまずは朝練、大学の講義の後ももちろん部活で、そのまま合宿所に泊まる生活でした。厳しい環境に身を置いて、自分を試したいという気持ちが強かったので、就職先もあえて激務と噂されていた大手証券会社へ。周囲には反対されましたが、反対されると燃えるタチなんです」
札幌勤務だった塚原さんは、26歳で三重県四日市市へ異動になった。慣れない土地でハードな業務をこなす中、心のよりどころとして訪れていた一軒のバー。ここで出会ったマスター中村泰三さんが、後に塚原さんを酒造りの道へと導くキーパーソンになる。
「マスターとは年齢も近く、すぐに仲良くなりました。僕は毎日のように店に通う常連客。とはいえこの時はまだ自分が脱サラするとか、将来酒蔵を建てることになるなんて考えてもみませんでした」
そのうち塚原さんは転職をきっかけに北海道に戻り、中村さんとは疎遠に。酒造りとは無縁の、化粧品メーカーの営業として働いていたという。
「ある時、北海道出身のフレンチの巨匠、三國清三シェフから『上川町からレストランを開きたいと相談を受けたので、打ち合わせに同席してもらえないか』という連絡を受けたんです。興味本位でついて行き、お話に相づちを打っていたら、そのまま僕がレストラン経営のための会社を立ち上げる流れになったんです」
おそらく三國シェフも、商学を学び、証券会社での経験もある塚原さんを見込んで声を掛けたのだろう。そんなシェフの信頼に応えたいという気持ちも後押しし、2012年、塚原さんは株式会社三國プランニングを設立。上川町にレストラン「フラテッロ・ディ・ミクニ」をオープンした。