親子三代で引き継がれる、汗と涙の結晶。焼カシュー【池田食品株式会社】
2023年10月30日 公開
苦難の時代に逆転の発想から誕生!
「時代と共に中国産の落花生が輸入されるようになり、更に流通や保存技術が向上した影響で安価なバターピーナッツそのものが大量に日本へとやって来るようになりました。大規模農場と巨大な工場を構える中国と、弊社のような北海道の小さな工場では生産力も価格の安さもけた違い。たちまち価格競争に陥ってしまい、自社製品の売上が急落してしまったんです」
追い打ちをかけるように、泰一さんの大病が発覚。その知らせを聞いて帰郷してきたのが、二代目・池田光司さん(現・代表取締役)でした。
「父は大阪や東京で修行を積み、豆菓子の可能性を追求していました。彼が注目したのは、当時高級品だったカシューナッツです。今でこそコンビニで簡単に買える豆ですが、当時は入手そのものが難しい品でした。しかし当社は乾物屋を営んでいた経緯から、流通ルートの確保ができていたんです」
困難続きの商品開発。口コミで看板商品へ。
「父は豆そのものではなく、周囲に衣をまとわせることで味を付ける、粉巻(こまき)という手法で、ナッツ本来の食感や風味を生かしつつ均等に仕上げることに成功しました。その後、それまでの主力商品であったバターピーナッツの設備をすべて焼カシューなど豆菓子の製造ラインに作り替えたんです。まさに会社の命運を懸けた挑戦でした」
一方すぐに大ヒットというわけではなく、人気が出るには時間がかかったのだそう。
「当時は商品を問屋や飲食店へ卸す『B to B』がメインだったため、焼カシューが安価で出回ってしまい、商品へのこだわりや思いをお客様に伝えることができていませんでした。そこで直販店を構え『B to C』に移行し、自社で製造から販売までを行う形にシフトしたことで、自社ブランドを確立し、その結果、口コミで人気が広がっていきました」
地位が変わっても変わらない地元への思い。
「焼カシューも当社の看板商品としてさまざまな味付けの商品が誕生していました。しかし、周囲から『作るのは得意だけど、売るのは苦手』と言われることが多く、販売促進やブランドの認知拡大が課題となっていました」
そこで晃子さんが取り組んだのが、パッケージや会社のロゴを含めた自社のリブランディング。すべての商品パッケージを濃紺色に統一し、ロゴも創業当時の乾物屋の看板に描かれていた文字を元に、老舗の威風を感じさせるものへと変更しました。「当社の商品はお酒の供として人気が高いこともあり、男性も手に取りやすいデザインにしたのもポイントです」と晃子さん。
リブランディングの効果は2019年、大丸札幌店への出店という目に見える形となりました。
「札幌駅隣接というロケーションは売上として大きいのはもちろん、道外や海外のお客様が増えるきっかけとなりました」
現在はお土産としての人気も高まり、道外のファンも次々と獲得しているという焼カシュー。一方で「どんなに時代や社会が変わっても、一番大切なことは変わりません」と晃子さんは言葉を継ぎます。
「それは地元、北海道で愛されることです。北海道に誇れる菓子メーカーという目標は、祖父の時代から変わらず持ち続けています。こう言うとインタビュー向きのせりふではないかもしれませんが、今後もシンプルにおいしさを追求し続ける、それが私たちの使命なんです」
ここがこだわり!開発のポイント
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職人の手間と技術で均一に味付け
直火で焙煎したナッツの表面に砂糖水をコーティング。更にもち米でんぷんの寒梅粉と小麦粉をまぶし、何層もの衣に仕上げます。いびつな形のカシューに均一な粉巻(こまき)をするために、熟練の職人が手間をかけています。 -
2017年から2018年にかけてはリブランディングを行い、老舗らしさとモダンさを兼ね備えたパッケージに一新。昔からのお客様だけでなく、新たなファン獲得にも成功しました。
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自分たちで足を運び原料を調達
ナッツの産地であるインドや南アフリカを訪ね、現地視察して安心な産地・工場から購入します。入荷した原材料は更に自社で選別。「風力選別機」をはじめ「X線」「磁力」そして「目視」で行っています。
池田食品株式会社
北海道発!商品誕生エピソード
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