―そもそもクラブ発足の経緯は?
松重:僕の出身は岩見沢です。上京して広告制作に携わり、2年ほど前に独立してからは「地域活性化」の仕事に力を入れたいと思うようになりました。さまざまな地域の方にお話を聞いたところ、カギになると感じたのは街に「熱狂できるもの」を作ること。その可能性を十分に秘めているのがスポーツだと思いました。岩見沢にはプロスポーツチームがないため、「スポーツ」で恩返しができるのではないかという構想を描き始めたころ、帰郷のタイミングで出会ったのが辻本です。
辻本:僕は岩見沢でボール運動指導プログラム「バルシューレ」を子どもたちに教える取り組みを続けています。その中で子どもたちが将来的に趣味としてもプロとしてもスポーツを楽しめる多様な環境を用意するために、プロスポーツクラブを立ち上げたいと思っていました。
松重:バルシューレはとりわけバスケットと相性が良く、その特徴を生かして選手の育成を軸としたクラブを作ろうと意気投合したんです。
―ちなみに、お二人はバスケット経験者?
松重:私も辻本も経験はありません。そのため、最初に取り組んだのはクラブのビジョンをまとめることです。仲間や選手を募るには、目指すべき理想像や行動指針が「共通言語」として機能すると考えました。
辻本:何度もオンラインミーティングを重ね、クラブのフィロソフィーを「すべては『ワクワク』する未来のために。」と掲げました。
松重:コロナ禍でオンラインが広く浸透したことも追い風になりました。SNSを中心に新しいデジタルツールを活用することで、徐々に仲間が増えてきたんです。
田尻:僕も選手として「ワクワク」に共感した一人です。コロナ禍でバスケを媒介とするつながりが失われつつあり、競技の魅力を伝える術がなく八方ふさがりの状況でした。岩見沢にバスケクラブを作ることやデジタルツールを使った新しい発信方法に可能性を感じ、すぐに仲間入りしたんです。