菊地建設鉱業は1931年(昭和6年)の創業以来、道路や橋梁の新設・補修、畑・水田の土地改良工事、冬期には国道の除雪といった地域の「当たり前」を守ってきた会社です。
社員数は作業員を入れて50名程度。決して大きな規模ではないものの、業績は10年以上にわたり右肩上がりで、この数年は若手が次々と入社。多くの20代が活躍する賑やかでフレッシュな会社となりました。
都会とはいえない地域の建設会社に、なぜこれほどの若手が集まるのでしょうか?そこには「地域の『当たり前』であるインフラを守るために、働きやすさも当たり前に叶えていきたい」という会社の想いがありました。社長と働く2人のインタビューをご覧ください。
地域貢献のためには、若手が楽しく働ける職場が一番です。
代表取締役社長 菊地真輔
菊地建設鉱業の一番の特徴はゆるやかな社風です。かつてこの業界は先輩から怒られるのが当たり前、仕事は「見て覚えろ」の世界でしたが、それでは若手が育たないと危機感を持ち、時代に合った教え方をするようになりました。おかげさまで最近たくさんの若手が入社してくれています。皆あだ名で呼び合うほど仲が良く、先輩たちからも可愛がられ、私も見ていて微笑ましいほどです。
当社が重視するのは利益よりも、1つひとつの仕事をていねいに行い、質を高めること。その「質」とは、働き方とイコールだと私はとらえて、現場の人員配置は常にゆとりある人数にし、遠方出張はしない等、無理をしない働き方を実践してきました。ただ、休日数はまだまだ充分ではないのが正直なところ。そのぶん、給与や賞与水準を他社より高めにしています。
これから目指すのは、さらに自由で多様性を尊重した職場づくりです。髪色や髪型はある程度自由、飲み会参加も強制しません。教育も時間をかけて、一人前になるまでじっくり面倒を見ます。インフラという地域の「当たり前」を守り続けていくために、若手の皆さんには楽しく働いてもらえればと思います。
都会よりも充実!プライベート重視の方にもオススメです。
内田健太(24歳/入社3年目)
入社前は札幌の大学で経営学を学んでいました。自然豊かな環境で暮らしたい…と考えて、見つけたのがこの会社。当初は建設系=キツイ、怖い、汚いという印象を持っていましたが、訪れてみると事務所はピカピカで、若手が多いことにも好感を持ち、入社を決意しました。
入社してからは1、2カ月ほど、事務所内で測量機器の使い方、写真の整理の仕方など基本を教わりました。現場に出た後は年の近い先輩が常に隣について仕事を教えてくれます。ベテランの先輩もやさしく親身に教えてくれるので、気遣いで疲れることもありません。
当社は残業が少なく、遠方出張もないので、プライベートとの両立がしやすいのも気に入っている点です。僕の場合はバドミントンが趣味で、今は仕事帰りに近所の体育館でプレーを楽しんだり、土日に子どもに教えたりしています。職場もまちの人も、本当に穏やかでいい人たちばかり、札幌にいた時よりもたくさんの人と交流しているかもしれません(笑)
お給料は正直、一人暮らしには充分すぎるほどですし、町内に限り土日も使える社用車があるので生活も問題ありません。実はつい先日もちょっと高額なバドミントンの用具を買ってしまいました(笑)
社風と同じく、働き方も柔軟。やりがいにも応えてくれます。
東 晃(28歳/入社6年目)
鹿児島県の飲食店で働いていましたが結婚を機に京極町へ来て、知人の紹介で知ったのがこの会社です。施工管理技士という仕事のイメージは「難しそう」…でも、じっくりと仕事を教えてくれると聞いて入社を決めました。
現在は農業用水路の工事を担当しています。現場は常に5、6人のグループで、ゆとりのある配置がされてるので、いつも雰囲気はにぎやかです。現場ごとにどう施工していくか、どう工程を組んでいくか悩む時はありますが、常に新しい知識や技術にチャレンジできる点に面白さとやりがいを感じています。平面図だったものが長い時間をかけて、ダイナミックな立体物としてできあがった時の達成感はたまりません。
当社は「募集要項」にはない働きやすさがたくさんある会社です。我が家には3歳、1歳の子どもがいますが、保育園からの呼び出しがあった時は嫌な顔ひとつせず「いいよいいよ!」と言ってくれます。1時間単位で休みがとれる「時間休」制度も便利で、皆たくさん利用してますよ。
京極町は倶知安やニセコまで20〜30分、札幌も1時間半程度という便利な立地で、自然豊かでご飯も美味しいところ。実は移住してから体重が20キロも増えました(笑)