余市・小樽の海沿いで半世紀以上、
地域住民から頼られ続ける自動車整備工場があります。
バイクから大型バス、除雪車まで幅広く扱い、
ディーラーが買い替えを勧める車も「まだ直せます」と向き合い、
突然の故障にも駆けつける――。
取材で訪れてみると、その理由がわかりました。
「失敗してもいいから、やってみよう」
そう言って新人を温かく見守る先輩たち。
「あの時は本当に助かった」
そんなお礼の手紙を貰った体験を嬉しそうに語る社員たち。
技術力だけではない温かさが、ここには溢れています。
海のまちの、ハートフル整備工場。
「温かさ」の正体を紐解いたインタビューをご覧ください。
「失敗を恐れず」の言葉に支えられ、性格まで成長しました。
銭函工場 成田一樹さん(27歳・社歴10年)
水産系高校の出身で、機械に興味を持ち入社しました。車の知識は全くのゼロからのスタートで、最初はタイヤやオイル交換と、基本的な作業を一つずつ覚えていきました。
当社は「失敗してもいいから、まずやってみる」という教育方針。実際、トラックのパッキン交換は実際、10個くらい壊しましたが、先輩たちは怒るどころか「壊す勢いでコツを覚えて」と何度でも練習させてくれました。おかげで半年後には車検を一人で担当できるようになりました。業界的にはかなり早い方だそうです。3年目に三級整備士の資格を取得しました。
お客様と近しい距離感もこの仕事の大きな魅力です。僕はもともと人見知りでしたが修理箇所の説明などを通じて徐々に克服し、今では複数人のお客様が僕を指名してご連絡くださるまでになりました。「暑い中ありがとう」と飲み物を差し入れてくださったり、「成田くんじゃないと不安」と言って下さった時は、技術者として信頼されている実感があります。
この仕事の一番の喜びは、動かなくなった車が再び走り出す瞬間です。エンジンがかからなかった車が、修理後に元気よく動き出す。その瞬間の達成感は、何物にも代えがたいものがあります。
お客様の「ありがとう」こそが、僕にとってのガソリンです。
整備士 小寺啓宏さん(37歳・社歴20年)
「地元で手に職をつけたい」と入社し20年です。現在は余市工場で整備士と車検の検査員、JAFロードサービスの担当をしています。
この仕事のやりがいは、日々お客様から感謝の言葉を頂けること。特に印象的だったのは数年前の出来事です。内地から来た方から「走行中に車が故障した」とご連絡頂き、すぐに現場に駆けつけ修理を行うと、「途方に暮れる所だった」と何度も何度も感謝の言葉を頂き、さらに後日お礼の手紙まで届きました。この仕事をしていて本当に良かったと実感した出来事でした。
他社では修理を断られたり買い替えを勧められるような車も、とことん対応するのも当社の特徴。車検においても目の前で「ここが悪くなっています」「今回は大丈夫ですが、次回は交換が必要かもしれません」と、透明性のある説明を心がけています。数年前に業界を騒がせたような「自動車業界の闇」は一切ありませんので、ご安心ください。
20年この仕事を続けてきて思うのは、整備士は単に車を直すだけの仕事ではないということ。お客様の生活を支え、安全を守り、時には相談相手にもなる。整備士とは、そんな人と人との繋がりがある仕事だということです。
お客様にも若手にも優しく真っ直ぐ。「温かさ」こそが会社の財産です。
代表取締役/森 義仁
当社は私の祖父が創業し約50年、現在は従業員約200人の会社となりましたが、昔から大切にしているのは「地域密着」。こだわる理由は、手の届く範囲のお客様と従業員を大切にしたいこと、そして時代に左右されないことの2つです。例えばバス事業では町内会の旅行から学校の遠足、養護学校のスクールバス運行を手掛けていますが、コロナ禍でもほとんど影響を受けず、経営の安定化に繋がりました。
今回募集する整備部門では未経験者をイチから育てる文化が根付いています。先日、インターンに来た高校生に、成田がオイル交換を教えている姿を見たのですが、その丁寧さは「ここまで教えるのか」と感心したほど(笑)。「見て覚えろ」ではなく理由や背景まで伝えることが、今の時代に大切だと感じています。
この間、偶然会った方から「あの時は本当に助かった」とお礼を言われ、聞けば車が故障したところを小寺が自宅まで送ってくれたと言うのです。そういう温かさが、うちの社風であり財産だと思います。ウチはディーラーと違い「売る」じゃなくて「直す」が仕事。車の「困った」なら何でも解決する。それが車社会で生きる地域の皆様にとっての安心だと考えています。